優秀賞 「昭和16年夏の敗戦」
井上 大将 |
本書は、作家・政治家として活躍している猪瀬直樹氏が著したノンフィクション、つまり史実や記録に基づいて書かれた作品である。彼は、執筆活動に加え、2007年より東京都副知事を務め、他にも地方分権改革推進委員会委員、東京大学客員教授、東京工業大学特任教授を務めるなど、多方面で活躍している。猪瀬直樹氏は、この作品を書き上げたときまだ36才の若さであった。彼は、様々な資料や関係者の取材から得られた膨大なデータを分析し、太平洋戦争開戦に至る経緯や極東軍事裁判を巡る一連の流れ、そして、その過程における登場人物の揺れ動く心情を、生き生きとした文章で鮮やかに描いている。それら一連の作業に対する苦労は、並大抵のことではなかっただろうと想像できる。そこから、著者のこの作品への並々ならぬ情熱を感じるのである。
著者は、太平洋戦争という歴史上の大事件を、「なぜ、日本は大国アメリカ相手に無謀な戦争を起こしたか」という視点から追求している。この作品は、教科書では知ることのできない太平洋戦争の裏側を知ることができ、とても興味深い。昭和初期、国際社会との激しい競争の中で対米開戦に進まざるを得なかった当時の社会情勢を想像してみたとき、私はそのプロセスこそがグローバル化の進む現代の日本に有益な示唆を与えてくれると考えている。だからこそ、我々日本人は戦争を中心とした日本の近現代史について深く知り、過去の歴史的事実に向き合う必要があるのではないだろうか。猪瀬氏も、「歴史のなかで自分を位置づける習慣がなくなると、自分が一体どういう人間なのか曖昧な、脊椎のない軟体動物みたいになってしまう」と述べ日本人の歴史意識の希薄さを指摘している。過去の歴史から多くのことを学び、次世代に活かしていく努力をし続けることが今を生きる私たちの使命だと思う。
ところで、「昭和16年夏の敗戦」というタイトルに触れたとき、私は一つの疑問を抱いた。というのも、我が国の「敗戦」は、昭和20年の出来事であり、真珠湾攻撃に始まった太平洋戦争開戦も昭和16年冬のことである。では、昭和16年夏に何が起こったのか。それは公的な機関として「総力戦研究所」が作られ、陸海軍の軍人、有能な若手官僚、トップ企業の社員、大学教員、新聞社の記者など、当時の優秀なエリートによって組織されたのである。そこでは、開戦するか否か、開戦したらどうなるかというシミュレーションが繰り返された結果、客観的な数字データをもとに「日米開戦なら日本必敗」の結論に達する。実は昭和16年の段階で日米対戦の結果が正確に予測できていたにもかかわらず、開戦という選択をしたことがタイトルの「敗戦」と関係するのだろう。
それでは、「総力戦研究所」が戦争の結果を的確に予測できていたにもかかわらず、なぜ日米開戦に向かわなければならなかったのか。日米開戦という方向性が盛り込まれた「9月6日の御前会議決定」に対し、昭和天皇は、当時陸相であった東條英機に「白紙還元」を期待し組閣の大命を拝した。しかし、新しく発足した東條内閣は「開戦すべし」という周囲の「空気」に影響を受け、開戦へと向かわざるを得なかった。この「空気」は巨大なエネルギーとなり、政治家や官僚だけでなく世論までも揺り動かす大きな原動力となった。私は、「戦争」という一大事が「空気」に翻弄されてしまう現実に恐怖を感じるとともに、場の「空気」を大切にするという風潮は、現代の日本社会にも通じるものがあると思った。
もちろん、東條英機を中心とした当時の閣僚たちは、日本の勝利を盲信していたわけではなかった。「内では国務と統帥の二元化という制度の壁が日米開戦を阻止できなかった主要な因子であり、外では日本に対する英米蘭の挑発が開戦を惹起した」という東條の論理の通り、大本営と政府の並立という特殊な構造や、当時の制度の欠陥も作用していたのであろうが、最も大きな要因は、関東軍の侵略など中央が末端組織を正常にコントロールできなかったことにあったのである。私にとって、東條首相は独裁者というイメージが強いが、少なくとも開戦までの彼は決して独裁者ではなかった。彼もまた、時代の波に翻弄された人物の一人であり、その人生は多くの試練や苦悩を抱えたものだったのである。
猪瀬氏は、本書の結尾部で「ディテールを積み重ねれば真実にたどり着く」と述べており、意思決定におけるディテールの積み重ねの大切さを説いている。私たちは、歴史的事象を多面的・多角的に考察する中で、現代を生き抜くために必要な"ディテール"を蓄えていく必要がある。そのような意味で、本書は我々にとって「必読の書」と言えるだろう。ぜひ、多くの方に読んでいただきたい作品である。
|
|