この混迷の「よのなか」を生き抜く上で、重要なことは一体何か。色々とあるだろうが、本書では、「考えるチカラ」を身に付けることだと述べている。だが残念なことに、受験のための勉強、パターン問題の演習といった、正解にたどり着くことを急ぐ傾向の強い現代の教育体制では、この力は付きにくい。
本書は、ミムラーさんという一家の親子の対話を紹介することで、各家庭で「考えるチカラ」を付ける訓練ができるよう助けてくれる参考書の役割をしている。ここでは、「よのなか」科の授業と呼ばれるこの訓練は、単に親が子に一方的に教えるのではなく、身近な物事について、「なぜそうなるのか」「どうしたらよいか」「どうしてそうしたらよいと考えるか」などを、親が子供に問いかけて一緒に考えることである。普段、子供に情けない、頼りないなどというイメージを持たれているビジネスマンのお父さん方にとって、「よのなか」科の授業は、父親としての株を上げられる絶好の機会となるだろう。
そして、私たちの日常生活の中には、「よのなか」科の授業のネタとなるもので溢れている。例えば新聞やテレビ。新聞を何回か折ってみせ、同じくらいの厚さの本に比べて安い理由やテレビ番組を見るのに、視聴料金にあたるお金を払っていない理由を問いかけ、考えることで、子供たちは、宣伝をしたい会社からの広告料によって新聞やテレビ番組が成り立っていることを知り、その重要性にも気付くはずだ。このように、私たちが日常で何気なく見たり、使ったりしている物も、立派な教材となってくれるのである。
また、子供にはあまり認識がないが、お父さんにとっては身近な会社の話。ミムラーさんが、スイミングスクールに通っている子供たちから、会社で何級かと聞かれる場面がある。スイミングスクールでは、テストなどで進級するし、義務教育の小学校では、一年ごとの自動的な進級である。それらと照らし合わせて、会社の、能力で判断するか、勤続年数で判断するかという昇給や昇格の仕組みと、それらを採用することで、どのように会社に影響してくるかなどを考えられる。ある事象により、他が受ける影響、そしてどうなるかといった類推する力が育っていくのである。
そして、経済教育の重要性が問われている現代では、家庭で子供に、ある程度の経済観念や金銭感覚について、きちんと教えておく必要があるだろう。物の値段は、人件費などのコストを、一定の需要が確保できるように組んで、原価にプラスして設定される。値段は、経営側の諸経費の比重が大きい。また、その値段の範囲内で、何らかの「価値」も設定されているのである。需要と供給の関係についても、そのバランスが不釣合いだと値段が変動するため、定価が決まっていない商品もある。食卓に並ぶ野菜や魚などが良い例えなので、話を切り出しやすいはずだ。消費者である以上、その立場としてしか考えないかもしれないが、経営側に目を向けることも、経済を考える上で重要なことである。
最後に、平成十三年九月十一日にアメリカで起きた「同時多発テロ」を話題にしたミムラーさん一家。「ビンラディンは悪人か」との子供の問いに、ミムラーさんは明確な答えを出すことができなかった。戦争やテロが起こった場合、その現実だけを見て、勢力を良い、悪いと単純に二分するべきではない。大勢の犠牲者を出したテロは許されない行為だが、そこに至るまでの経緯が重要なのである。この場合は、アメリカとアラブ諸国の対立が大きな原因だが、非常に根の深い問題で、現在まで尾を引いている。つまり歴史を踏まえて、各国々との因果関係などを知っておく必要があるということである。
さて、「よのなか」科の授業を行う上で、注意しなければならないことがある。それは、子供の意見に真摯に応じることだ。子供なだけに突飛だったり、事の本質を突いた発言もあるだろうが、それを頭ごなしに否定しては、会話がはずまなくなってしまう。子供が積極的に参加してくれるような雰囲気を作るということを心がけておきたい。
本書は章分けされているが、各章とも、まず導入部があり、ミムラー家でのやりとり、そしてミムラーさんから簡単に内容の補足的な説明があって、最後に著者が具体的な数字などの、比較的掘り下げた解説で締めるという形をとっている。中でも、特に本書のおもしろさを引き立てているのは、ミムラー家でのやりとりだろう。ミムラーさんと子供たちの生き生きとした掛け合い、それに時々茶々を入れる奥さん。かっこ書きで、ミムラーさんの心の内やその時の状況を説明している部分も、どこか楽しげだ。時間が経つのも忘れて、ついつい読み進めてしまいそうな一冊である。 |