優秀賞 「ソフィーの世界」 清水由花 (031174・掛下達郎ゼミ・吉田高等学校) |
『ソフィーの世界』では、現実にはあり得ないことばかりが起こる。ソフィー自身の思想も普通の十四歳の少女だとは思えない程に哲学的である。しかしソフィーの考える問題はいつも私達の身近にありながら気に留めたことのないものばかりだ。私は、ページをめくっていくうちにソフィーの視点で話を追っていた。
物語は、ソフィーが一通の手紙を受け取ったことから始まる。「あなたはだれ?」と、小さな紙切れにたったのこれだけ。実に単純な問いでありながら、考えれば考えるほど、ソフィーにとって難題であった。自分はソフィー・アムンセンでしかないけれど、もし別の名前だったら別人になっていただろうか。そんな疑問が、ソフィーの頭をかけめぐった。二通目の手紙には「世界はどこからきた?」とだけ書いてあった。もちろんソフィーの答えは「ぜんぜんわからない」だった。そうは思っても、手紙の差出人もわからない、その意図すらソフィーにはつかめないままだったのだ。そんなソフィーに、もう一つ謎が増える。例の手紙はないかと開けたポストの中に、ヒルデという女の子にその父親が宛てたらしいバースデイ・カードが入っていたのだった。早くもソフィーに三つの謎が突き付けられた。まず、二通の手紙の差出人は誰かということ。次に、その手紙による問いかけ。そして、ヒルデという少女が誰で、なぜソフィーがバースデイ・カードを受け取ったのかということで。ここでソフィーは、「三つの謎はきっとどこかでつながっている」と確信した。
この後、いよいよアルベルト・クノックスによる哲学講座が始まる。その中でソフィーは謎を解き明かしていくのだ。アルベルトは、分かりやすく段階を踏んでソフィーに哲学を教えた。この講座によれば「いい哲学になるためにたった一つ必要なのは、驚くという才能だ」とある。赤ん坊はみんな、この才能を持っているのだそうだ。だからソフィーも赤ん坊のようになって、次々に起こる奇妙な出来事に柔軟に対処した。手紙の差出人であり、ソフィーの哲学の先生になるアルベルト・クノックスは、最初は名前も居場所も明かさなかった。しかし、やがて二人は会うようになり、哲学の歴史について語り合いながらも、ヒルデの父親であるクナーグ少佐を敵対視し始める。ソフィーの周りは、ヒルデへのバースデイ・メッセージであふれていた。バナナの皮の裏にまで書いてあったし、時には犬のヘルメスが「ヒルデ、お誕生日おめでとう」と話したりさえしたのだ。
ソフィーは何があっても、アルベルトの哲学講座をやめようとはしなかった。ソクラテスから、プラトン、デカルト、スピノザ、ロック、ヒューム、そしてバークリへと哲学の歴史を学んでいく。しかし、バークリを学んだ時に、ソフィーとアルベルトは気付いてしまった。バークリにとっての「意志あるいは精神」が神という存在であるように、ソフィー達にとっての「意志あるいは精神」、つまり神はクナーグ少佐だったのである。
ここから物語は一転して、ヒルデの視点から展開される。『ソフィーの世界』は、少佐が娘のために書き上げたもので、ソフィーとアルベルトはその中だけに生きる登場人物だったのだ。ここで全てはつながった。少佐がソフィーにヒルデ宛てのカードをおくったのは、ヒルデがそれを読むことがわかっていたから。あり得ないことばかり起こるのは、それが少佐によって作られた世界だったからである。しかし、少佐の意図とは裏腹にソフィーの世界が一人歩きしはじめる。本の中のソフィーとアルベルトの仕返しを現実世界のヒルデが買って出たのだ。その結果、現実世界と哲学の世界の境界がわからなくなり、その混乱した世界の中にソフィーもヒルデも共存することになるのである。
この本は、確かに哲学書である。哲学の歴史が細かく書かれているし、ソフィーの体験も哲学に結びつくものばかりだ。しかし、少しも難しくなどない。アルベルトが哲学を教えている相手は、十四歳の少女だからだ。哲学の話が難しくなれば、赤ずきんやくまのプーさん、ニルスのがちょうなどが分かりやすく例となって教えてくれる。まさに哲学に初めて触れるには打って付けの本である。また、この本の面白さは、哲学と謎解きが共存している点である。ただ哲学について書き並べているのではなく、その合間に謎を解いたり奇妙なイベントが起こったりしている。そのおかげで読者は、哲学に飽きることなくページを進めることができるのだ。
最後に著者は謎を一つ残している。それは二次元の世界、つまりソフィーの世界はどうなってしまったかということだ。本当にソフィー達は少佐の物語を抜け出したのだろうか。この本を読んだ今なら一つ分かることがある。その答えを考える術もまた、哲学なのだと。
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