優秀賞 「<じぶん>を愛するということ−私探しと自己愛」 梶川智美 (031096・吉田健三ゼミ・松山中央高等学校) |
人間は誰でも人生の中で1度は「自分探し」「本当の自分を見つける」「居場所探し」など考えたことがあるだろう。この本では、精神科医の著者がそのような素朴な疑問について分かりやすくアドバイスしてくれる。自ら「自分探し」をしている感覚で気軽な気持ちで読むことができるだろう。
ことわざで「知ることは最大の防御なり」という言葉があるが、著者は「自分探し」もこのことわざ通り、まず人間の心の仕組みについて知ることが重要なのだと述べている。心の仕組みとは、何かをきっかけにぜんぜん違う能力・人格を持った自分に生まれ変わるかもしれないという「もうひとりの自分」に対する興味・関心・あこがれという感情のことだ。この感情で今話題になっている心の病理がある。それは、多重人格やストーカー、アダルトチルドレン、拒食症、過食症などである。この心の病を聞いたとき、心理学や精神医学と難しく考える人がいるかもしれない。しかし、この本では、誰もが経験したことがあるような実例を織り込んでいるので、「私もそう思う」「そういう考え方もあるのか」という納得できることや考えさせられることがある。そのため、どんどんこの本にすいよせられて、とても読みやすいと思う。つまり、私は、自分を見つめ直し、いろいろなことを学び考えていくことが「自分探し」の第一歩なのだと考える。
次に、「自分探し」という言葉の「自分」とは何か考えていかなければならないと思う。
著者は、「自分問題」としていわゆる自我同一性、アイデンティティと呼ばれるものを取り上げている。アイデンティティとは、アメリカの自我心理学者エリクソンが提唱した概念で、一言で表せば「自分が自分であることの感覚」つまり、言葉にして人に説明したり見てもらったりできるような「自分らしさ」ということだ。しかし、最近の若者は、「自分らしさ」という言葉を間違った方向でとらえていると思う。例えば、電車の中で他人の迷惑を考えずに携帯電話を使用していることだ。「私は私じゃん」的な考え方は、周囲の人にも喜ばれないし、自分自身の自信や誇りにもつながらないと考える。つまり、「自分」とは、個人のものではなくて、完璧に社会的に共有されているということなのだ。
では、「自分探し」という言葉の「探す」とはどういうことなのだろうか。著者は、「何かを目指して努力して探すこと」ではなくて「すでにそこにあるものを発見する」ということなのだと述べている。そして、「ほんとうの自分」は「今の自分」と地続きであるものだから段階的に目指されるべきものなのだと考えている。また、自己イメージを作り弊害や副作用から逃れることが自己の確立につながるのだろうと思う。
大事なのは、この本のタイトルに書いてあるように「じぶん」を愛するということなのだ。「自分」を好き。「自分」を嫌い。「自分」を探す。「自分」を探さない。‥‥いずれにしても、すべての人たちに1回ずつ平等に与えられた人生は、ひとつひとつがきっと独創的なもので自分自身しか道を切り開くことができないのだと考えた。また、「自分」を好きにならなければ「自分探し」を始めようとする気も起こらないと思う。
私は、世界の中で「自分」とは何か知っている人は少ないと思う。「自分」という存在は親や友達よりも身近な存在なのにどうして「自分」とは何か分からないのか不思議である。それは、人間の精神が多数多様性を持つ根茎だからだ。時代が移り変わるのと一緒に人間も少しずつ自分を変えていくものだ。そのため、「自分探し」の終着点はないと思う。しかし、自分自身が「自分探し」をあきらめると正しい道から外れてしまうかもしれない。だが、ここであきらめてもしょうがないと思う。自分を愛するということは、自分を甘やかすことではないのである。1997年に出た本に、「カルト資本主義」というノンフィクションがあった。この本の内容は、「自分は生きているのではなく、生かされているのである」「世の中のことはすべて実現する」「近い将来この世界は崩壊するが、選ばれた人々は生き残り、新しい理想世界を築き上げる」というものだった。ここで心のどこかに不安を持つ人がいるかもしれない。今私は、大学入学を前に控えて不安でいっぱいだ。しかし、それとは逆に「新たな自分を発見しよう」と好奇心もあるのだ。つまり、「自分は自分」と強く意識しているだけで不安は表れないのではないかと考える。
この本で違った視点から「自分」をみることができ面白かったと思う。本が心の相談員になり、人生の参考になった。1度しかない人生の中で「自分探し」というのは難しく考える必要はなかった。今日から、新しい感覚で「自分探し」ができそうだ。
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