優秀賞 『命売ります』
白石 萌

 主人公、「山田羽仁男」は、人生の無意味さを実感すると無性に死にたくなり自殺を図るが、失敗してしまう。そこで羽仁男は、会社を辞め、新聞の休職欄に「命売ります。お好きな目的にお使い下さい。」などという内容の広告を出した。
 その広告を見て最初にやって来たのは、小柄な老人だった。老人の依頼は、悪党の三国人の愛人になっている妻「るり子」に復讐するため、妻と親しくなって、それが三国人にわざとばれるようにしむけ、るり子と共に殺されてほしいというものだった。さっそく言われた通りにしたが、「ACS」という秘密組織らしい三国人は羽仁男を殺すことはなく、翌日るり子だけが殺されたのだった。
 そんな羽仁男の所に次にやって来たのは、図書館の司書をしている女だった。彼女の依頼は、ACSかもしれない外人に、服用すると「自殺を装わせた殺人の効用を発揮する」などと書かれた「甲虫図鑑」を売ったのだが、羽仁男にこの薬の実験台になってほしいということだった。そして、依頼通り動いたのだが、今まさに死のうとしている羽仁男をかばって司書の女が自殺してしまい、またしても羽仁男は助かったのだ。どうやら彼女は、羽仁男に惚れていたらしい。
 二度も命拾いした羽仁男の次の依頼人は、学生服を着た「井上薫」という少年だった。薫は、羽仁男に吸血鬼の母の愛人となって、母の悪性貧血を治してほしいと頼んだ。依頼通り、羽仁男は毎日夫人に血を吸われ弱っていく一方であったが、元気になった夫人と薫と三人で仲良く暮らしていた。ある日、ついに夫人は羽仁男と心中する決心をするが、人生の名残に二人で散歩に出掛けた際、羽仁男は倒れて病院に運ばれた。その間に夫人は一人で焼身自殺を図り、またしても羽仁男は助かった。
 その後も、羽仁男の命を買いに来たスパイ男たちの依頼を心理的トリックと解いて、命を落とすことなく解決した。心身共に疲れきった羽仁男は、引越し先も決めずアパートを引き払ったところ、ある周旋屋で「玲子」という女に出会う。玲子と羽仁男は夫婦のように暮らし始めるが、玲子は厄介な女で、羽仁男はある時自分の命の危険を感じて、逃げ出す。逃亡中も、発信機をしかけられたり、トラックにひかれそうになるなど何者かに命を狙われていた。そしてついに拉致されたところで、自分が関わった今までの事件はすべて繋がっていて、羽仁男はその罠に引っかかったのだと知る。すべてを知った羽仁男は命が惜しくて逃げ出し、警察に助けを求めるが誰も信じてくれないのだった。
 この物語の面白さは、「羽仁男」の死に対する心境の変化にある。最初は死ぬことに対して何の抵抗もなく依頼を受けていた羽仁男であったが、いざ命を狙われる身となると、怖くなって逃げ出している。何とも情けないと思う反面、命を大切に思う気持ちが芽生えた証拠ではないかと思った。では、なぜ命が惜しくなったのか。それは、自分のせいで死んだ女たちが影響していると思う。自分が死ぬはずだった依頼なのに、自分の代わりに女たちが死をとげたことで、命の大切さに気付いたのだろう。「命売ります。」と一度は捨てた「生」を結局は取り戻すことができたのではないか。その点で言えば、ラストの結末は少し物足りなく感じた。私の思い描く結末は、命の大切さに気付いた主人公は心を入れかえ、死んだ女たちの分まで懸命に生きたという内容で、一度捨てたはずの「生」へ執着し、最後は読み手にどこか安心感を与えるような結末が良かったからだ。そうすれば、命を重く扱う現在の世の中でも、親しみやすい内容になるだろう。
 しかし、全体的に見るととても面白く、最後の結末がなかなか予想し難いため、どんどん読み進めることができた。物語の世界に引き込まれていく中で、特に私の印象に残っている場面は、羽仁男が命を狙われ逃亡する場面だ。「命売ります」と死ぬ機会や方法を求めていたのだから、命を狙われ突然殺されるという形こそ羽仁男の望んでいたことのはずだ。しかし、実際に命を狙われると自分が命を惜しく思っていることに気づき、様々な苦悩や葛藤を繰り返す。一度大きな事を言ってしまっているので、今さら取り消すこともできず強がっている羽仁男に人間らしさを感じた。
 中には、羽仁男の妄想なのかと思うような現実離れしている表現もあるが、それがより一層物語の奇妙さを引き立てていて面白い。そして、命に未練はなかったのに「死にたくない」と思うようになった羽仁男や、命について考える作者の思いが、文章の一行一行から伝わってくる興味深い作品だ。


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