優秀賞 「永遠の0
加藤 萌 

 私は、以前から「永遠の0」が映画化されるという話が話題になっており、是非原作を読んでみたいと思ったので、この本を選んだ。
 この物語は、二十六歳の佐伯健太郎という青年が、フリーライターである姉の慶子と共に特攻で亡くなった血の繋っている祖父「宮部久蔵」について調べるところから始まる。
 二人は初め、宮部と航空隊で一緒だった海軍少尉の男を訪ねるが、彼は宮部の事を「海軍航空隊一の臆病者」「何よりも命を惜しむ男だった」と蔑みの言葉をぶつけられてしまう。自分達の祖父は臆病者だったと二人は落ち込むが、宮部の血の繋った娘である母から、「健太郎と同じ二十六歳という若さで亡くなった父が、どんな人だったか知りたい」と頼まれ、更に宮部を知っている色々な人を訪ねていく。
 色々な人を訪ねる中で、宮部は「娘に会うまでは死ねない」といつもいっており、何よりも自分の家族を一番愛していたという真実を知り、二人は喜び涙を流す。しかし、宮部は何故「必ず生きて帰る」という妻の松乃との約束を守らず、特攻隊に志願し亡くなったのか、その謎を健太郎は姉と共に紐解いていくうちに、驚きの事実を知る事になる。この事から、戦争というものは人間の人生をガラリと変えてしまうものなのだということが、改めて実感できる。
 物語には、宮部久蔵についてだけでなく、太平洋戦争・大東亜戦争とはどのような戦争だったのか、戦場で毎日死と隣り合わせで生きる若い日本兵の苦しみ、今の日本からは全く想像もつかない戦時中の人々の苦しみ、悲惨さが、まるで作者の百田さんが、当時を経験しているのかと思わせるくらい、もの凄くリアルに描かれている。読んでいる最中も涙が出てき、ラストになると更に涙が出てくる、涙無しでは見られない、そんな感動のストーリーとなっている。また、生きているということの素晴らしさを、宮部久蔵の言葉や、この物語から考えることができる。
 本を読み終えて、私は戦時中の兵士や特攻隊に対して「誤解していた」ということに気が付いた。それは、「特攻はテロリストと同じではない」ということと、「昔の日本兵は死ぬ事を恐れていないわけではない」ということである。
 特攻隊とは、国のため天皇陛下のため自らの命を犠牲とし、そのことを喜び誇りに思う。現代でいうテロリストと何ら変わりの無いものだと思っていた。しかし、「自爆テロの奴らは一般市民を殺戮の対象にしたものだ」「無辜の民の命を狙ったものだ」と本に書かれており、自分自身の特攻隊に対する見方は、誤っていたという事に気づいた。
 また、戦時中の兵士の遺書によく「喜んでお国のために戦死します」といった言葉が書かれており、当時の日本人は本当に死に対して恐怖心など全く無く、洗脳されているのだと思っていたが、「遺族に書く手紙に『死にたくない、辛い、悲しい』とでも書くのか。それを読んだ両親がどれほど悲しむか分かるか」「死にたくないという本音が書かれていなくとも、愛する家族にはその気持ちはわかる。なぜなら、多くの遺書には、愛する者に対する限りない思いが綴られているからだ」という台詞を読んで、彼らは洗脳などされていなく、自分達の家族を愛する立派な一人の男だったのだと思い涙を流した。立派に戦死しなさいという教育を受けていたとしても、愛する家族を残し、死ぬ確率の高い戦地へ行くのは、そうとうな覚悟と家族と二度と会えないかもしれないという悲しみがあったのだと思い胸が苦しくなった。
 物語を読んでいるうちに、太平洋戦争で亡くなった私の曾祖父のことを思い出した。彼も宮部と同じく妻と子供を日本に残し戦地へ来た。遠く離れた戦地から、宮部の様に妻や子供達の事を想ってくれていたのかなと思うと、私は本を読みながら涙が止まらなかった。
 戦時中には、この様に似た話がいくつか出てくるが、人が一人一人全く違う様に各家族一つ一つに違った話があり、それぞれ違った苦しみや悲しみがあると思う。
 私達が今の時代を幸せに生きる事ができるのは、戦争で犠牲となった人々や戦時中、戦後の苦しい時代を、身を粉にしながら懸命に生きてきた人達がいたからであると思う。いや、いたからであるからだ。
 本の帯に「読み終わった後、必ず家族に会いたくなる」と書いてあったが、私の場合は、「読み終わった後、家族みんなで曾祖父と曾祖母の仏壇に向かって『ありがとうございます』と手を合わせたくなる」感謝の気持で、とてもいっぱいになる。
 この物語は、是非日本人なら一回は読んでおくべきだと私は思う。このような素晴らしい本に出会えて心から良かったと思える。


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