優秀賞 「格差社会」
宮武亜璃沙(11073707・松浦ゼミ・高松中央高等学校) 

日本は貧富の格差が拡大しているということだが、何に起因しているのか。この問いに答えられる人はなかなかいないのではないだろうか。

橘木俊詔氏の『格差社会−何が問題なのか』は昨年九月に発売されたもので、ベストセラーとなった本である。その中で取り上げられたのが、低所得労働者の増大、新しい貧困層の出現、教育の機会の不平等である。さまざまな場で格差が拡大する中、今の日本の現状を知り、これからの日本社会のゆくえを推測する必要がある。しかし、これからの社会を担っていく私を含めた若者たちには「格差」に意識が無い若者が多く、全く無知な状態で日々過ごしていると思われる。この本はタイトル通り、格差社会に関しての問題を取り上げた本なので、これからの社会の在り方について考えるには、もってこいの本だと思う。

国民の多くが日本社会の格差拡大を実感する時代になり、今までとは違った論争が繰り広げられている。それは、小泉元首相が国会で述べた「格差はどこの社会にもあり、格差が出ることは悪いことではない。」という発言からである。この主張に対する筆者の考えがなかなかおもしろい。

内閣府は前述の首相の発言について、次のような根拠を示している。第一に、高齢者間の格差増大についてであるが、それは従来所得格差が大きい高齢者層が少子高齢化により増えたのに過ぎないという見解だ。第二に、家族構成の変化を指摘しており、高齢単身者と若年単身者を中心として、単身者の層が増えていることが格差を拡大させているように見せかけているだけで、実際に貧富の格差が広がっているわけではないという点だ。

筆者もこの考え方をおおむね認めている。一方で、高齢化が進み、単身者の数が増えたということは、高齢単身者の数が増えたことを意味している。そして現在、その高齢単身者において貧困者の数が非常に増えてきている。そうなると、内閣府が少子高齢化による見せかけの格差拡大だと主張するのであれば、この高齢単身者という貧困層が増えたことをどう考えているのか。また、生活に苦しむ人の数が増えていることを無視するのか、という筆者の意見は、これからの日本の課題を指し示している。

さらに、私が身近に感じた奨学金制度についての記述も、これからの教育制度も考えていく上でとても参考になった。なぜかというと、現代の日本社会では、良い教育を受けられるか、受けられないかは両親の階層、職業、所得によって左右されているそうだ。すなわち、所得の低い階層の親の子どもが、十分な教育を受けられずに、低所得労働者となるという悪循環が現実にある。そこで真っ先に考えられるのが、奨学金制度の充実であると筆者は指摘する。

私も奨学金制度を利用しているので、大変身近でありながら、重要性を実感している。私はこれからもっとたくさんのことを知りたいし、学ぶために大学への進学を希望している。しかし、両親の所得では経済的に困難であるため、奨学金制度を利用する機会を得て、自分の視野を広げるチャンスが与えられた。この制度はとてもありがたいことだが、そもそも日本の公的教育支出額は、先進諸国の中で最低レベルなのだ。にもかかわらず、現在さらなる支出削減が進行している。私が通う私学でも、授業料に反映する私学助成金の削減に反対する署名運動が、毎年行われている。このままでは、日本の教育制度の将来が不安だ。

教育を受けたいと強く望みながらも、さまざまな事情でやむを得ず進学を諦めている人がいるはずだ。彼らは今、社会問題ともなっているニート、フリーターとなり、将来に不安を抱えながら過ごさねばならない。フリーターの人たちの中には、正社員を希望する者もいる。しかし、企業は非正規労働者には、労働コストを下げるなどのメリットがあることを経験しているし、一度非正規労働者となると、勤労意欲が低く、仕事の熟練度も低い者と見るのだ。このように、若者の将来を大きく左右する教育制度の見直しが必要になってくると思う。私たちがよりよい環境で教育を受けられるようになるためにも、奨学金制度は重要な課題である。

この本を読んで感じたことは、格差社会について表面的なことばかりを受け入れるのではなく、その背景には何が潜んでいるのかというところまで考える必要があるということだ。一部の情報だけで、物事を理解できていると思い込んでいる人が多すぎる。そういう人に、警鐘を鳴らす目的もあったのではないかと感じるのだ。

今の格差社会の在り方を見つめ、事実を把握し、改めて自分たちの社会を見直すきっかけになる本である。

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