優秀賞 「自分の顔が許せない!」
菅 絵里奈  (051119 渡辺孝次ゼミ 上浮穴高等学校)  

自分の顔や身体に満足している人間は、果たしてどのくらいいるだろうか。人によって悩みは異なるだろうが、何らかのコンプレックスを持って生活をしている人間が多いというのが現状ではないだろうか。本書は、「美容整形の女王」と「顔にアザのあるジャーナリスト」による、人間の持つ顔や身体に対する心理や自己についての対話である。

まず、コンプレックスを持った人は「視野狭窄」になりがちだと述べている。自分と同じ立場の人間は排除して考え、自分より上の人間と最低底の人間だけにしか目を向けないことである。それによって、嫉妬心や安心感が生まれている。本書では、「ある階層の人間だけ、同じジャンルの人間だけが集中し生息している小さい社会」みたいなところで思春期を過ごすと、視野狭窄的人間になる可能性が高いと考えている。例えば、学校である。その環境の中で、美貌やセンスといった数値化できないもので競い合っていたことにより、社会に出てからも刷り込まれたその価値観から抜け出せないでいるのだ。

そして、顔や身体に対する価値観は、幼少期から自然と刷り込まれているのである。アニメやおとぎ話では、怖い顔や気味の悪い顔は悪役で、綺麗な顔は主人公というのが当たり前のようになっている。この価値観も、コンプレックスを感じる一因となり得るのだ。そして、これらも関係して、自分に否定的になり自らその現実から逃れようとする。その結果、整形をする。整形は、「自分の理想の顔を手に入れる行為」ではなく、「自分の顔を手放す行為」なのだ。整形は、しなければいけない行為ではない。それをあえて行おうとするのなら、リスクを覚悟したうえですべきだ。「自分を手放す行為」を望むなら、全て自己責任であることを忘れてはいけない。

今や、女の子の理想像は、「バービー人形」と化しているという。目が大きく、手足の長い人形こそが、現代の女の子が最もなりたい姿なのだ。このような人形の普及と共に、女の子の理想像や美意識が激変してしまった。

また、現代人は、自分の自意識を安定させるために身体をいじり、美しさを追求しようとする。その美しさがまさに人形に向けられていっているのだ。人は生き物なのだから、汗をかくし、臭いも出てしまう。しかし、それが許せない。人形のように、お風呂に入らなくても臭わない、そんな身体を欲しがる。それでは、人間としての価値がなくなってしまうのではないか。人形にはない身体の機能を、大切にしていくことも必要である。

そして、これらの美容整形を個人の自由だからと放っておくわけにはいかないのだ。端的な例として、子どもへのプチ整形をする若い母親について述べている。これは、この母親世代が、「あるがままの肉体を認めることを学習する機会を損失している」からではないかと考えている。子どもの顔は親のものではない事を自覚してほしいものだ。

最後に、人は多くの出会いを体験するべきだ。そして、互いのコンプレックスについて話し合うこと。その中で、「共感」部分を探り当てていく作業、「差異」に注目していく作業が必要となってくる。どんなにかけ離れた肉体でも共感できる部分が必ずあるはずだ。また、互いに「誰にも共有できない苦しみ」の存在、その「他者性」を認め合い、互いの距離を縮めていくことだ。

あなたは、コンプレックス、美容整形についてどう感じただろうか。これらに関心がある人もそうでない人も、共通して言えることは「美しくなりたい」という願望があるということだ。しかし、ここで考えてほしいのは「美しい」とはどういう姿を言うのか。この疑問の解決策として、本書が一役買ってくれる。美容整形を体験した女性と生まれつきアザのある男性の対話は、互いにまったく違うコンプレックスであるのに対し、共感する場面が多々あることに驚かされる。また、幾度となく共感、納得させられることは間違いない。

本書の一番の魅力は、自己の体験が赤裸々に語られていることだ。その中で、美容整形手術時の写真が掲載されている。普段見ることのできない手術時の様子を知ることで、あなたの想像する美容整形と現実を比べてみてほしい。考えさせられることが、必ずあるはずだ。

「自分の顔が許せない!」そう感じている人は、ぜひ本書を手にしてほしい。あなたが抱えるコンプレックスを和らげてくれるだろう。そして、自分の顔や身体に対する気持ちの変化に気づくはずだ。

コンプレックスの有無に関わらず、自分を見つめ直す機会として本書を活用することをお勧めする。この「言葉の格闘技」への、あなたの参加を期待したい。

Copyright(c)2013 松山大学経済学部 All rights reserved.