最優秀賞 「自分の顔が許せない!」
山下 莉奈 (051373 渡辺孝次ゼミ 宇和島東高等学校)  

自分の体・顔というものは一生伴っていくものである。その自分自身に誰もがコンプレックスを持ち、いかに欠落の部分を良くみせるか努力しているだろう。本書ではそんな自分の欠落について二人の男女が激論を繰り広げているのである。

中村うさぎ。彼女は美容整形を繰り返し、本当の自分を見つけたのである。石井政之。彼には整形手術では治らない大きなアザが顔の右半分にあるのだ。そんな立場が全く違う二人がお互いの体験談をもとにその時の自分の心情を話し合うことは実に見物である。

私たちもそうであるが、初対面の人の自分に対する印象や、話している相手の視線というのは気になるものである。石井さんにはアザがあることで、人以上に気にしてしまうのである。電車の中で自分の隣の席が空いていると、普通の人は何も思わないのだが、彼はマイナスの方向に考えてしまうのだ。「座ると居心地悪いのかな」と思う自分と「たまたまだ」と思う自分がいる。これは自意識の持ち方なのだけれども、そこで自己肯定すると何かを見ないようにしている自分がいる。そう石井さんは言う。自意識の持ち方は人それぞれだが確実に誰にでもあるのだ。

女性なら誰もがしている化粧。どうして化粧をするのだろうか。ほとんどの人がキレイになるためだと答えるはずだ。しかし、化粧をしている自分は本当の自分なのだろうか。化粧はコスプレ・武装ではないのか。そう思う人もいるだろう。そんな疑問もすべて自意識の上にあるのである。男性が化粧をしないのも化粧に対して否定的だからである。しかし、女性にとっては当たり前のことであり、化粧をしている顔が「自分の顔」になってしまっているのである。近所のコンビニに行くのにも、すっぴんでは行けなくなり、素の自分に対し不安になるのだ。その結果、安定剤として化粧をするようになったのである。そんな、普段考えはしないけど「確かに」と思うような話題が本書にはたくさんあるのだ。

例えばマイケル・ジャクソンについて考えてみるとする。彼は元々黒人として生まれたが、現在は白人並みに白い肌になっている。他にもアゴや鼻にしても本来の自分の顔とは掛け離れているのだ。どうしてマイケルはそこまで自分を変えてしまったのだろうか。これに対し、中村さんは「マイケルの心理が分かるような気がします。」と言うのだ。彼女も美容整形をし、逸脱した顔となったことで、「これは私の顔ではないのよ。」「もうビジュアルでしかないの。」と言うことで精神的に楽になったのだ。マイケルもそうだろう。ホモセクシュアルである自分が嫌、黒人である自分も嫌、自分の全てが嫌になり、こうゆう姿になったのではないだろうか。自分に対して嫌悪感を持っている人は、それを自分の顔や体に投影する。彼らがその実例だろう。誰でも自分に対し、「ここが嫌。」と思うことはよくあるはずである。しかし、愚痴を言いながらも行動には移さない。「まして整形なんて。」と思っている人もたくさんいるだろう。すなわち、他人が自分をどう見ているのか。それが一番気になっているのだ。自意識過剰になるのはよくないが、「他人にどう思われてもいい。」なんて言っていると、自分自身も前進しなくなる。特に女性であればキレイにならない原因である。したがって、自意識は上手に持っていないといけないのである。

現在、世の中に有り触れている「ブス・ブサイク・チビ・デブ」というような言葉は差別用語なのだろうか。太っている男の子が「俺、デブなんだ。」と言っても誰も違和感を感じないだろう。キレイな女性が逸脱した顔の女性に「ブス。」と言ったらこれは差別用語になるかもしれない。言葉はその時によって善悪を決めてしまうのである。同じ言葉なのに不思議である。また、言葉はいろいろな問題を起こすものだ。例えば、『石に泳ぐ魚』の事件である。友人の顔や人生を好き勝手に書き、出版したことにより裁判になった事件である。もちろん結果は友人側の勝ちである。この事件により、言葉の重みが伝わったのではないだろうか。

本書は中村さんと、石井さんの会話ですべて構成されており、とてもリアリティー溢れる作品になっている。すべて私たちが興味を引くような内容であり、中でも化粧をする女性の心理などは、「納得」の一言であった。ユーモラスに対談する二人であるが、信念をもっておりどこか説得力があるのだ。固定観念にとらわれている自分が小さく見える思いであった。

異色の二人が顔や体のコンプレックスをそれぞれの立場で話し合う。こんな読み応えのある本を読まないわけにはいかないだろう。人間という動物の心理を知り、自分自身の視野を広げるためにもぜひ読んでほしい一冊である。

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