最優秀賞 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」
上林優子 (051120  馬 紅梅ゼミ 別府鶴見丘高等学校)  

私は今、青春のど真ん中に立っている。つい先日、高校を卒業したばかり、ピチピチの18歳だ。本書は私と同年代の16歳の少年、主人公ホールデンの青春の一ページを読者に同年代の友達に語りかけるように綴っている。私は今から本書を真似て、書評を書こうとおもう。

ホールデンは、ペンシー・プレップスクールの三年生。ペンシーに入学する前にもいくつかの学校を転々としている。引越しなどでのやむを得ない転校なんかじゃない。なぜかって?彼はまぁ、勉強を進んでやるってタイプの生徒じゃなかったし、なんというか普通の16歳の少年とはものの考え方っていうのか、そーゆうのがちょっと違っていたんだ。ということは、ホールデンに共感を覚えた私も少し変わってるのかもしれない。そんなことはさて置き、彼はまたもや、スクールを追い出されることになる。正式にスクールを出る前に、彼は彼の生活していた「インチキくさい」奴の集まった寮を抜け出すことを決意したんだよ。そこから彼の長いようで短い旅が始まるんだ。

本書では「インチキくさい」という言葉が何度もつかわれている。人や物を問わず、あらゆる名詞という名詞に使われているのだ。これはホールデン少年がまだ青く、思春期真っ只中の反抗期であることを象徴しているのであろう。そしてもう一つ目についた事は、なにか量や数を表わす時の大げささだ。例えば、「僕はきっと一マイルくらい飛び上がっていただろうから。」という表現がある。1マイルは約1609メートル。普通に考えて人間がそんなに飛び上がるわけがない。他にもこんな大げさな表現が百万個くらいある。などといった感じなのだ。

彼は旅の途中たくさんのインチキくさい奴のことを思い出し、たくさんのインチキくさい奴と出会うんだ。彼はインチキくさい奴やそいつの行動を見るとめげちゃうんだって。そーゆうのってわかるんだよね。私がこの本を読んでたのは自動車学校の待合室だったんだけど、そこにいたんだよインチキくさい奴が。詳しくは話さないけど、その時痛感したよ。これがめげちゃうってことなんだってね。そして彼はインチキくさい奴にはとことんうんざりしちゃうわけ。特にペンシーにいた頃のルームメイトのストラドレイターとその隣の部屋に住むアックリーってやつらにはね。だけど私はわかってるよ。ホ―ルデンは彼らのことが本当は嫌いじゃないんだ。まぁ、そう感じるのはひとそれぞれだろうけど。とにかく彼はインチキくさい奴らにも両親にも街にも嫌気がさしちゃって消えてしまいたくなったんだね。でもでも消えちゃう前に、最愛の妹フィービーには会っておかなくちゃ、そう思ったわけ。

ホールデン少年には、作家をしていてハリウッドに住むDBという兄が一人、白血病で死んだ二つ年下のアリーという弟が一人、そしてとても頭の良い一番お気に入りのフィービーという10歳の妹がいた。ここでは、妹との会話や行動を具体的に書くことにより、ホールデン少年が妹にしか見せない素直な面、妹が本当に愛しいのだという純粋な気持ちを、うまく描写している。

私にも兄が三人いるんだけど、ホールデンみたいな兄は一人もいないよ!きっとこの本を読んだ日本全国の妹たちがそう思ったんじゃないかな。フィービーがうらやましいよ。彼は学校に行ってるフィービーを手紙で昼休みに呼び出したんだ。フィービーを待つ間、来るかどうかひやひやしてたね。でもそんな心配は必要なかった。彼女は来ただけじゃなく、一緒に行くってんだ。もちろんそれは無理なこと。ホールデンは強く言いきかす。案の定、フィービーは泣きじゃくる。そんでもって学校にも戻らないと言いだす始末だ。こういうのってすっごく困るんだよね。だからつい口からでちゃったんだよ。「もうどこにもいかない」ってね。とにかく彼はご機嫌取りに撮りかかったんだ。二人で動物園を歩くんだけど、そうこうしてるうちに、彼は本当にどこへも行かないでうちに帰ろうって気になったんだ。なぜだろうね。それはまぁ、読んでみたらわかるんじゃないかな。

本書を読むと、学生、主婦、会社員と老若男女を問わず、十代の青春時代の気持ちになるだろう。それは、飾り気がなく、誰もが青春時代に思うことを素直に書いてあるからだ。忘れかけていたあの気持ち、心の奥底にしまったはずのあの気持ち。そんなたくさんの思いをそっと引き出してくれる一冊である。

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